・年表・ |
1841 | 長州藩(山口県)の、下級武士、伊藤十蔵(いとうじゅうぞう)の子として生まれた |
1863 | イギリスへ留学 |
1881 | 対立する、大隈重信を、政府から追放して、明治政府の、最高指導者となった |
1882 | 憲法調査のため、ヨーロッパへ、渡る |
1885 | 最初の内閣総理大臣となる (5代7代10代の時にもなっている) |
1909 | 10月26日(69才)韓国併合 (かんこくへいごう)を強く押し進め、 併合(へいごう)に反対する韓国人の 青年、安重根(アンジュングン)に ピストルでうたれ、中国のハルビン駅で殺された |
・併合され、変わった所・ |
・どうして併合したのか?・ |
日本の領土を増やすために、朝鮮を併合した。
土地が増えると、農地や、工場が、建てられるし、人が増えれば、働く人々が多くなるからである。
真ん中にあるものが、伊藤博文の銅像です。
今は亡き伊藤博文が、すんでいたと思うと、
不思議です。
右上の写真が、旧1000円札のモデルに
なった肖像写真です
下の写真が、幕末の志士の頃の写真です
志士というのは、国のために自分の命をかえりみず、つくす人という意味です
・感想・ |
・伊藤博文の事を調べてみて、最初は、私達は「伊藤博文」と言う人は聞いた事もなかったけど、今は、どんな人か、少し、わかったので良かったと思います。
・イギリスに留学したり、初代の内閣総理大臣になったりして、立派な人だと思いました。
・でも、韓国併合をしたら、韓国の人々が、かわいそうだとは思わなかったのかなと思いました。
・協力してくれたページ・ |
・参考にした本・ |
福沢諭吉上村隆一・藤江尚也
大隈重信刑部ゆかり・多村郁恵