聞いた人:谷口さん(1920年代後半の生まれ) |
○小学校のころの思い出
・当時の家はシュッタの沢の奥だった。 ・昭和10年に当時の中穂別小学校に入学した。最初の10日ほどは,満さんの家までお母さんと一緒に行った。 ・帰りにクマの足あとがべたべたとあるのを見つけて,怖くなった。お母さんに話すと,一斗缶に石を入れて,ガラガラとなる鈴を作ってくれたので,それを引っ張って登下校をした。 ・最初は,用水路のふちを歩いて学校に行っていた。3年生くらいになると,道路ができた。 ・「他校リレー」では,稲里はとても強かった。でも福山には勝てなかった。お弁当(おにぎり)をリュックに入れて行った。 ・友達とは,「とっかん遊び」,けんけん,騎馬戦,手まりやお手玉(女の子)をして遊んでいた。 ※とっかん遊びは,じんとりに近いゲーム。出会ったところですもうをした。 ・病気になると,稲里には病院がなかったので,おぶって穂別まで行かなければならなかった。 ・修学旅行は,登川から汽車に乗って,札幌や小樽に行った。 ・畑仕事が忙しいときは,学校を休まなければならなかった。でも姉は,家の仕事を抜け出して学校に行っていた。 |
○畑のこと
・馬が使えなかったので,まどぐわ,しまだぐわで起こした。 ・野幌の農業技能学校に,通信教育で勉強した。 ・郵便局に就職したが,3年目に兄が亡くなり,家業を継ぐことにした。当時の家は,岩倉さんの事務所があったあたり。 |