記録の補足
中村 治

聞いた人:上杉さん(1920年代はじめの生まれ)

○子どもの時にあった火事のこと

・屋根がかたむいていて、バケツで水をかけても消えなかった。
・まわりが草っ原だったので、山に火が移った。今のパーキングの向かいまで燃えた。でも雪のおかげで、そこで止まった。

○小学校のころの思い出
・道路がかわいているときはそのまま歩いて通ったけど、川沿いに歩いて通うこともあった。当時の道路は東線だけで、山本橋、宮宅さんの前を通って学校に通った。
・先生が長いぼうを持ってきて、黒板のところから子どもをたたいていた。でも長すぎて、1週間で折れてしまった。
・いたずらばかりして勉強するヒマはなかったけど、運動は得意だった。すもうや競走は、上級生にも負けたことがなかった。

○食べ物のこと
・秋になるとサケをとって食べた。たくさんいたけど、近くの川では木が倒れていて魚が見えずらく、しかも深かったのでとりずらかった。村上さんの方(豊進)まで行くと、川が浅くなっていたのでとりやすかった。ひっかけ釣りでとった。

○稲里のようす
・炭焼きの人がたくさんいた。若い人が多かったので、子どもも多かった。
・子どものころ、稲里には75けんもの家があった。当時の稲里は、第一自治会、第二自治会、第三自治会、第四自治会(サヌシュッペ川から長和)、豊進の五つの自治会があった。
・戦争が終わったあと、豊進に開拓の人が入ってきた。
・穂別川は、昔はちがう場所を流れていた。



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