聞いた人:藤崎さん(1920年代後半の生まれ) |
○造材のこと,道路のこと
・山の中に(自分たちで)小屋を造った。 ・グループで働いた。木を切る人,下までおろす(やぶだし)人,積む人と,それぞれが得意な仕事をした。藤崎さんは積むのが上手だった。 ・戦争で自分たちより年上の人はほとんどいなかったので,自分たちが先頭に立って仕事をした。 ・よく一緒に仕事をしたのは,山本さん,浜本さん,佐々木さん,上村さん。 ・中村さんはいい馬をもっていて、たくさんかせぐことができた。 自分たちの馬では運べない大きな木は,中村さんに頼んだ。その分,給料もよかった。そのお金でブルを買って,ますます仕事ができるようになった。 ・登川にあった旧道で,橋の修理もした。片道2〜3時間の道を歩いて現場まで通った。 ・旧道はトンネルと川の間にあって、山に沿って道があった。終点はトンネルを出たところにある「くりきの沢」。 |
○戦争中の稲里のようす
・戦争中は,盆踊りに穂別まで(歩いて)行ったこともあった。 ・夕張の炭鉱の人が,食べ物を買いに来ていた。 ・夕張から楽団を呼んで,演芸大会をした。明かりはカンデラでつけた。お礼は稲里でとれた農作物だった。 ・人の交流(行き来)は活発だった。 |
○小学校のころの思い出
・夏休み前には,川で机を洗った。 ・部落ごとに川で水泳をした。 ・運動会では,玉入れをしたり,走りながらとんだり,障害物走や借り 物競走をした。 ・学芸会では,すもうを演技の中に入れたのが楽しかった。木で烏帽子 をつくった。 |