聞いた人:小林さん(1920年代後半の生まれ) |
・樺太(今のサハリン)で生まれた。 ・樺太がソ連(今のロシア)のものになって,日本にもどってきた。畑がなかったので,11戸の仲間で稲里(豊進)に開拓に入った。 ・太い木を何本も切って,くさらせてから切ってすてて,田畑を作った。太い木だと,1本切るのに1日かかった。 ・今は稲里に下がっているけど,石山さんや村上さんも一緒に入った。2人とも,今のキャンプ場の方に家があった。 ・のむらさん,瀧川さん,清水さん,佐々木さん,木田さん,豊田さんなど何人も豊進に住んでいた。 ・豊進に入った人たちは,元々は農家ではない。樺太でいい生活をしていた(町に住んでいたし,電気もあった)のに,豊進に来たら大変なくらしになった(木ばっかりで電気なんてない)。水田で順調にお米が できるようになって生活が安定したり,国道が開通して道路がよくなったりすると,みんないなくなってしまった。 |
○道路のこと
・今の国道(274号線)は,当時は林道だった。道路はガタガタで,橋には穴が開いていた。 ・学校の前の道道も,昔はなかった(東線だけ)。 |
○小学校のころの思い出,自治会の思い出
・女の子の中に男が自分1人だった。 ・小学校だけで50〜60人いた。青年団も同じくらいいた。 ・グラウンドで5〜6日間も盆踊りをした。 |
○小学校のころの思い出
・先生はきびしかった。宮嶋先生の奥さんが先生だったが,とてもきびしかった。後ろからつかまえられたらはなれられないくらい,力も強かった。 |