昔の台所にあった道具のこと |
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子どもの頃 ・いろり ・台所でわらを焼いてその中に入れた納豆やとうふやあげなどを作った。 ・茶の間の真ん中にいろりがあった。やけどをして手が使えなくなる子がよくいた。あぶないので、しばりつけておくこともあった。 |
納豆の作り方 ・穴をほって,その中でわらを焼き,その中に煮た豆を入れた。 ・おばあちゃんは,わらにくるんで湯たんぽで温めながら1ばん置いた。 |
とうふ ・売ってないので自分でつくった。しばれどうふやあげも。 ・あとになって,中島さんの家で作って売るようになった。 |
30歳くらいの頃 ・今とほとんど変わらない。 |
掃除の道具のこと |
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子どもの頃 ・ぴかぴかに掃除をしないとご飯を食べれなかった ・ほうき ・今とほとんど同じ。 ・学校から帰ると、まきわり、水くみ、ランプそうじをした。それをしておかないとご飯を食べさせてもらえなかった。高等科くらいになると畑仕事に変わった。 ・おばあちゃんは、家のそうじをした。板ぶきの床に柱が映るくらいにぴかぴかにみがいた。米ぬかを布にくるんでこするとぴかぴかになった。ある日,出面の人がトイレを借りにきて、トイレまでぴかぴかに してあっておどろいたのを見て、うれしかったことがあった。 ・外のそうじには「はぎ」のほうき,中のそうじには「ほうき草」を編んで作ったほうきでそうじをした。どちらも,自分たちで作った。 |
30歳くらいの頃 ・ぞうきん ・ほうき |
家族のこと |
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子どもの数 4人 |
その子の名前 |
今どこに住んでいるか |
畑のこと |
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畑で使っていた道具 ・ブラオ ・マンガ ・いねきり ・ラッパ |
・畑の作物 ・大豆 ・小豆 ・いなきび ・そば ・あわ ・あま |
・畑の場所 稲里は、30歳ぐらいの頃、ほとんど畑だった。 |
稲里の水田のはじまり ・あまは,布を作る時にも使ったので,たくさん作っていた。 ・大正15年か昭和元年(1926年)ごろに,稲里で水田作りがはじまった。 笹尾さんの上にある家(稲里477)のあたりが,稲里の水田のはじまりだった。 ・最初は川の東側だけだった。のちに,西側でも水田を作るために,自分たちで用水路をほった。費用(150万?)は自分たちで出し合った。 ・昭和30年代までは畑ばかりだったが,農協が水田作りをすすめて,今のように田んぼが中心になった。 |
感想 |
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子どもが4人もいると聞いたので、すごくびっくりしました。 質問に答えてくれたのになにも言葉を返せなかったのでショックでし た。 そしてあんまり詳しく記録できなかったので次やるときに気をつけたいです。 |